秀明館とは

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聖域であった姥子の湯

約3000年前の神山崩れ(大規模水蒸気噴火)により、現在の大涌谷と姥子周辺の地形が形成された。大涌谷を源とする姥子沢は現在でも秀明館の敷地脇を流れているが、修験者の分け入った当時のこの沢の周辺には、熱水の蒸気が立ち昇り、まだまだ大噴火の後の圧倒的な山の力を其処かしこに残す特殊な場所とされていたのだろう。植生の絶えた荒々しい様相を「賽の河原」と見立て、ここから神山(1,438m)へと至る一帯が修験者の行場とされていた。
その起点に姥子は位置する。

 

箱根神社の神域

「神山」をご神体山とする古神道を起源に箱根神社は成立した。
伝承に依ると開山は第五代孝昭天皇の時代。『・・聖占上人が箱根山の駒ケ岳より、同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場となりました。』(箱根神社HP 由緒書)というから相当に古い(BC400年頃か)。伝承であるにしても、実際、神山に立ってみるとこの地一帯が、太古から特別な場として多くの人々の信仰を集めていたことが容易に偲ばれる。

箱根神社の社領はたいへん広く、お膝元の直轄領だけでもかつては芦ノ湖から駒ケ岳を経て湖尻に至るまで、俗人不入の神域とされていた。この広大な神域のなかに、霊場として姥子の湯は在った。
おそらく山岳信仰の盛んな時代に、霊山「神山」へ立ち入る際の湯垢離の場として、この湯はその役わりを果たしていたに相違ない。

実際、今も変わらず湧泉を湛える湯船のさまからは、理屈を抜きにそれを感じさせられる。
大涌谷に流れる白濁した湯とは異なり、姥子の湯は際立って透明度が高い。晴れた日に天窓から射し込む光りが湯面に映え、明礬を含む湯壺の湯が薄いブルーに輝きだすその様は、幾年経ようとも変わらず、得も言われぬ[清浄]を今に伝えている。

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湯治場であった姥子の湯

秀明館の敷地内には今も石の祠(箱根神社と刻まれた石蓋)と、二棟の堂宇が祀られている。
お堂にはそれぞれ、地蔵菩薩像(木仏)と薬師如来坐像が安置されているが、薬師如来坐像(石仏)は鎌倉時代の作と伝えられる(新編さがみ風土記)。また、地蔵菩薩立像は箱根に現存する最古の木仏と考えられている。

 

主要な街道から外れた辺鄙な地にある姥子の湯が、中世には盛んな湯治場であったことがこのことからも伺われる。加えて、いつの頃より伝えられたものかは定かでないが、「姥子」の地名の由来となった金太郎伝説からも、眼病湯治の霊験が今も語り継がれている。

 

日本の、古くから在る温泉地の殆どが、こうした「湯治場」を起源とした開湯であったにも関わらず、時代とともに行楽地へと変貌してしまう流れのなかで(首都圏に近い温泉地で在りながら)、姥子は尚、湯治場と山岳自然信仰の起源が今に伝え残された貴重な場所である。

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薬師堂

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薬師堂

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地蔵堂

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地蔵堂

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湯で目を洗うかつての湯治風景

 

江戸期の温泉番付表(姥子は一軒宿)

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かつてのパンフレット・リーフレット

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温泉分析表

左が「自然湧出泉」、右が「揚湯泉」の温泉分析表です。クリックすると拡大表示します。

 
 

自然湧出の条件

神奈川県温泉地学研究所 研究論文

温地研報告第22巻目次

平成3(1991)年発行 箱根姥子温泉の湧出量の変化など

表題著者リンク
箱根姥子温泉の湧出量の変化大山正雄、平野富雄、大木靖衛153-1781991223温地研報告22-02.pdf